2008年03月24日

Birthday Present

2008年01月24日 20:41 ぷーーさん
いつでもそばにいる日常に
ありがとう。

毎朝の玄関で
湿ったぬくもりに
ありがとう。

おやすみの
背中のぬくもりに
ありがとう

月にうつされて、
進む先を照らしてくれて
ありがとう。

世界に、たった一人
心がまっすぐに向かっていく先が
あなたです。

与えることで与えられ、
与えるエネルギーが
与えられる。

だから私は生きています。
あふれるばかりのエネルギーを
「外に与えよ」そのエネルギーを
生ける糧としています。

わたしはそれをあなたから吸い上げているのかもしれない。

それをあなたは許してくれますか?

あなたに向かうエネルギーは
足りていますか?

それだけが心配です。

バースデープレゼントは、

あなたに向かうエネルギーであればいいな。

2週後の

誕生日おめでとう。



2008年01月24日 20:53 るぱんだこぱんだ
ありがとう

すなおに

ありがとう
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永遠の旅人

2008年01月16日 21:57 ぷーーさん
ボクは今、旅をしている。
「この世」のこの場所で、
自分自身で「ここに産まれたい」と願って、、、、
今、このとき、この場所で、この親の元に、、、、

「この世」を旅しに産まれてきた。

スタートはどこだろう?
それは思い出せないくらいずっと前から、
何万年も前から、
旅はスタートしていた、、、、

この前は中世のヨーロッパを、、、

その前は中国の戦国時代を、、、

その前は、、、、

その時の記憶は忘却のなかに、、、、、

しかし、着実に
こころに「哀と愛」を刻みつつ
いま「この世」に、、、、

ゴールはあなたのそばへ、、、

この世の100年足らずは
あなたのそばに行く何万歩のたった一歩にしか過ぎない、、、

この世のたった100年足らずには、
五体満足でなく出発するものも、

スタートしてわずかの間でリタイヤするものも、
途中で、手足を奪われるものさえも、、、

そして、「この世」の宿題が埋まる日まで
だだひたすらに、
ただただひたすらに、、、

あなたの宿題は何?
もう100年足らずの3分の1を来たけれど、
まだまだわからない、、

ただただ前を進めとあなたは言う。

あなたはいう。
「おまえが恋しくて恋しくて、毎日毎日常に泣き続けながら、
何万年も、何万年も、私までへの近道を私は導いているよ。」

格好も、知恵も、名誉もあなたには必要のないものなんだね。
どんな姿でも、どんなところに産まれても、
あなたにはほんの一瞬に過ぎない100年足らずを、
あなたの元へ行く一歩として歩んでいくんだね。

わかりました。
じゃあ、一歩ずつ、一歩ずつ、
あなたに会いに行くこの道を

たたきのめされながら、
風に煽られながら、
周りに激しく揺らされながら、

でも、あなたはずっと見て居るんだもんね、

恐れることなどのなにもなし、
ただ、ただ恐れるのはあなたの声が聞こえないこと、

さあ、行こう!
僕らはみんなあなたが産んだ

「永遠の旅人」





2008年01月16日 22:14 るぱんだこぱんだ
さぁさぁ。
あなたは何番目のあなたですか?
私は何番目の私かしら?

古脳の遺伝子をたどれば、遙か古代の記憶を呼び覚ませるかも知れない。
山鳥先生や養老先生のテレビで聞いたことがあるよ。

不思議と思ってたことが不思議じゃなく
当たり前なのかも知れないね。

勝手に生まれた訳じゃなく
約束の下、この世のすべてのモノは生まれてくる。
忘れているだけ。

長い長い旅の一コマはこの人生そのものだね。
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「やさしい」はどこから?

2007年11月12日 18:10
「やさしい」はどこから?

「やさしい」は大地から、
大地を照らす太陽から
夜を見守る宇宙から、

「わたしのやさしい」はどこ?
僕を大切にしてくれた人たちから、
そして、その人達を優しくしてくれた人たちから

ずっと、ずっと、何万年も、
つながっている。
ずっと、ずっと、
人がうまれたその時から

「やさしい」はあったんだ。

そう、「やさしい」もそらの約束。

そらは、
とてもとても高いところから
すべてを見ていたから、

すべての生き物の声を聞く、
すべての生き物の笑い声を聞く、
すべての生き物のうめき声を聞く。

本当は、そらはとっても悲しんでる。
たった一人が道に迷っても、
心配で、心配で、、
それはもう胸一杯だから、
いっつもいっつも泣いている。

悲しい人はやさしいひと
そらはずっと待っている、
何万年も待っている

私の隣で私の話を聞いてくれ
っていつまでも待っている。
やさしい人を待っている。

やさしいは
自分が乗り越えられた悲しみの分しか持てないけれど、
乗り越えるときは、そらが心配してみているよ。
絶対に、一人ではないんだよ。

まだまだ、そらのはなしは
遠くでしか聞けないけれど、

いつか、いつかきっと、
そらが悲しんだ話のひとつでも

傍らで、

そっと


聞いてあげたい。


そらの涙を


僕のハンカチで拭いてあげたい。





2007年11月12日 20:18 るぱんだこぱんだ
目の中に、泉がわいたかのごとく
わたしの頬をぬらす。
声も出さずに、ただ、あふれました。

困りましたねぇ。お化粧をしたままでは
読めません。

般若心経のなかには
こんなことが書いてあります。





2007年11月18日 06:00ぱぱそ、からるぱんだです。

ぷーーさんが書いた この詩は
ズしーんと重いです。

ちっぽけでいいんです。
そこに自分があることに
意味があります。

金子みすず の 「はちと神さま」
知ってるかい?

はちはお花のなかに、
お花はお庭のなかに、
お庭は土べいのなかに、
土べいは町のなかに、
町は日本のなかに、
日本は世界のなかに、
世界は神さまのなかに、

そうして、そうして、神さまは、
小ちゃなはちのなかに。



これは、ただのかわいい詩ではありません。
これは、とても大切なこと。

この詩と一緒に「やさしい」はどこから?
楽しんで欲しい
管理人るぱこぱ です。




2007年11月18日 17:06 ぷーーさん
そうだねえ、
「やさしい」
はみんな持っているものだってまず知って欲しかった。
それは、みんなに親がいるでしょう?
その人から「やさしさ」を受け継いでいるんだよね。
血の親が今のあなたにとって
「やさしくない」
かったとしても。
いつかの血の親から
またはその親から、その親の親から
ずっと受け継いでいると思うんです。
じゃあ、人類のはじまりから優しさがあったんじゃない?
尾崎豊が
「やさしさ」
持ち寄って抱き合うって歌っているけど
そうやって私たちは生まれてきたんだもん。

じゃあ、その優しさの源は
て考えると、
ボクの言葉を使えば
「そら」
なんだよね。

「そら」から生まれたすべてのものに
「やさしい」が入っています。
魚が美味しい。
花がきれい。
フルーツの安らぐ香り。

何でも感じることの出来る
私たちが
「やさし」くない
わけがないでしょ。

そこで空に思いをはせたら、

やさしくない自分のとき

「そら」


ちょっと「ごめんなさい」
て言いたくなることもあるんです。

でも、松ちゃん(ダウンタウン)の詞に
「親孝行しよう」
と思うことがもうすでに親孝行なのか見知れない。
っていっている様に。

そんな思いをそらはくみ取って
喜んでいるのかな?
と思います。




4 2007年11月18日 19:03 るぱんだこぱんだ
あまりに、自分が情けなく、ちっぽけだったとしても

そこには

一人では存在できない
「自分」に気づく

疲れたら
そこにある
「やさしい」に気づこう

「そら」は雨も降れば雪も降らせる

雨が嫌いだったとしても
雪が苦手だったとしても

雨に潤され
雪にあたためられている
そのことに 気づこう

繰り返す 魂は
忘れてるだけで
実は存在するのです。

親や元始まりの事
無くなるのではなく
「返す」と言うこと

思い出して欲しい

みんなの中に
「やさしい」があり
「やさしい」を繰り返し
「やさしい」を返し
「やさしい」には終わりのないことを
思い出して欲しい

届きますように・・・
大好きさん達へ



2007年11月19日 06:46 るぱんだこぱんだ
「やさしい」の補足
魂があり
現世に戻ってくる修行を繰り返し
また死んで返し
役目に気づくまで終わりのないことを
思い出して欲しい

届きますように・・・
大好きさん達へ


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そらへ向かって

2007年11月09日 23:26 ぷーーさん 「わたしはそらへ」

わたしはそらへ
ただただ
そらに向かいます。

真昼の鏡が私を映します。

真昼の鏡はいつも上を向いていて、
わたしが下に堕ちないように
わたしをうつします。

地面(した)には美味しそうな木の実や
いい匂いのする花が咲いているけれど、

私がそこに引かれて堕ちたなら、
たちまちそれは消えて無くなってしまいます、

だから私は
真昼の鏡を抱いて

ただただ、そらに向かいます。

そして、そらの言葉を聞きます。
私の耳は遠いので、
まだまだそらの言葉がよく聞こえません。

でも、少しずつ、少しずつ
聞こえたその言葉を
鏡と一緒に地面へと伝えます。

もっと広い地面に、
もっとたくさんのそらの言葉を伝えたくて、
耳の遠い私は、
その言葉を聞くために
ただただ、そらへ向かいます。

鏡には不思議な力があって
私と鏡がしっかり向かい合ったとき、

そらへと上がる力をくれるのです。

私一人は重たくて、そう簡単には上に上がれません。

ふらふらして、
何度も堕ちそうになりながら
鏡を見ながら上っているのです。

私と私の鏡には
そらの言葉を地面に伝える使命があるのです。

そらが言うのです。
「あなたの聞いた私の言葉を伝えなさい」と。

一人ではホントに危ない飛行ですが、
鏡があるから
大丈夫だと思います。

きっと、

大丈夫だと思います。
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「生き抜く」ということ。Byぷーーさん

2007年11月04日 00:37
2年前の、11月うちのばあちゃんが亡くなった。
82才だった。

生まれたとき、ばあちゃんの母親は主人の籍に入れなかった。
だから、ばあちゃんに戸籍には、真の父親の名前がない。

そんなばあちゃんは、武士の家系ではあったが、
借金のかた、別のうちに養子として貰われていった。

そのうちも貧しかったので、国が企画した、
北海道の開拓に参加することとなる。
幾ばくかの開拓資金と、広大な土地が手に入ると言われて、、、

その土地こそ、僕の実家の集落がある、根釧台地の一部だ。

まさしく、不毛の地。
夏の気温が低く、米どころか、豆すら満足に収穫できない、

冬は西別岳から吹き下ろす強風で吹雪となり、
何人もの人が命を落とした。

そこで、ばあちゃんは長女としてとにかく働いた。
その集落で、一番といわれるほどの酪農家にしていった。

戦後まもなく、戦争から返ってきた僕のじいちゃんと一緒になり、
再び新しい地で開拓を始める。(そこが今の実家)

馬一頭と二人の手だけでの開拓の日々。
5男1女をもうけ、さあこれからというとき、
夫をトラクター事故で数え38才の若さでなくしてしまう。

それでも、息子達を定時制高校に通わせながら
農家を維持してきた。
今では皆がそれぞれの技術を身につけ立派に生活している、
ぼくの父、叔父、叔母達である。

昭和44年頃、跡継ぎである長男が結婚。(私の父です。)

昭和46年僕が生まれ、翌年妹が生まれる。

僕が3才、妹が2歳の時僕の父である長男が
やはり、トラクター事故で亡くなってしまう。

二人の頼れる男達をこんな形でなくしてしまった、
その時のばあちゃんの気持ちはどんなだったのだろう。



僕は、自分が物心ついたときのばあちゃんしかしらない。
とにかくいつも一緒だった。
農家は共働きなので、
子供の食事などはばあちゃんが面倒を見る(そのような家が多い)。
兄弟げんかの仲裁も、たいていはばあちゃんだ。
あまり怒ったことはなかったなあ。

とにかく、孫思いのばあちゃんだった。

僕が7年前、故郷の町に帰ってきたとき、
1年間一緒に実家でひ孫達とも暮らした。

また、ひ孫達と本気になってけんかするほほえましい
ばあちゃんの姿だった。

80才超えても、変形した膝、背骨を何とかしてくれと、3回の手術を受ける。
ばあちゃんの体は、金属だらけだ。
リハビリも、模範的になるほどまじめに毎日自分で続けていた。

そんなばあちゃんが、不治の病に遭遇する。
骨にガンが転移し、骨がつぶれどんどん痛みが増してきた。

それでも、家に帰る気力があった、
だから、僕も勤めている入院先の病院の近くに
「一緒に住もう」と新築を決意した。

なくなる3日前には、「孫の家に帰るんだ」といってくれた。

でも結局、抜け殻になるまではこの家に入ることはなかった、、、

ばあちゃんの残してくれたもの、
それは、

「生き抜く」

ということではなかったか、

ホントに、ホントに、「精一杯」
生きた。

自分の与えられた体を、ぼろぼろになっても
医者をまっすぐに信じて、
とにかく心臓が止まるまで、
前を向いたまま、なくなっていった。

ばあちゃんなくなった後、
僕も精神的にも不安定になって
自分も「しんでもいいなあ」なんて考えたことがあった、

で、真冬の道を25キロ先の実家に向かって歩き出したことがある。
10キロも歩いただろうか?
ばあちゃんが頭をよぎった。

自分の悩みなんて、なんてちっぽけなものなのだろう。
亡くなって知った、ばあちゃんの生い立ちと人生。

どうして、これだけ前を向いて進んでこられたのだろう。

ばあちゃんの過去の恨み言一つすら、
ぼくは、聴いたことがない。

ばあちゃんの周りはみんな、辛いことだけ残して、先に逝ってしまったのに、、、

今自分に言い聞かせていること、
それは、

「生き抜く」ということ。

それは、ただ息をしているだけではないんだ。

一歩、一歩、
人生の苦難、挫折、失望を

「越えていけ」ということなんだ。

とうてい、ばあちゃんの域にはたどり着けそうもないけれど、

いっぽ、いっぽ

すすむんだ。

今はね、ばあちゃん。
一緒に進んでくれる相棒が、僕にはいるよ。
そして、ばあちゃんが
道筋つけてくれたからこんなにも平坦な道だよ、

だから、喜んで進んでいくよ。

ありがとう、ばあちゃん。
posted by るぱんだこぱんだ at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | ぷーーさん=ぱぱんだ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

+と-  Byぷーーさん

丹頂鶴のつがいがいた
互いに跳んだり近寄ったり

この世の中のほとんどが+と-

それは、どちらがかけても存在出来ない

♂と♀、N極とS極、プラスとマイナス、

どちらも一つだけだと止まったまま
どちらも一つだけだとつまらない

どちらも同じだけの力で引き合って

おんなじ力でグルグル、グルグル

永遠に永遠に

グルグル、グルグル

グルグル、グルグル

お互い引き合ってさえいれば

ずーっと回れるよ
ずーっと回れるよ
posted by るぱんだこぱんだ at 20:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ぷーーさん=ぱぱんだ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神から預かったこの手 Byぷーーさん

2007年10月26日 00:46
男のくせに、ちっちゃくて
深爪してて、ぶきっちょ。

仕事しない手と呼ばれてた。

でもね、
今はこの手が自分のステイタス。

深爪だから、爪が立たない。

汗かくこの手は、がさがさしない

神様が貸してくれた小さな「手」

でも、僕にとっては大きな手、

貸して貰ったこの「手」は、
僕に、みんなの笑顔をくれる。

ぼろぼろになるまで
みんなの笑顔を作ってあげてね、

大切な、大切な、

「借り物の手」
posted by るぱんだこぱんだ at 20:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ぷーーさん=ぱぱんだ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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